Justice and an edge

・・・あまりこういうのは書きたくはないのだが、忘れないように書き留めておきたい。


今日は一日中泣いた。
理由は親に怒られたのと、自分の嘆かわしい行動。







去年辺りから、ひそかに思っていたことがある。
『インフェリオリティー・コンプレックス』。
特に妹に対してだ。


彼女たちは自分の趣味でもある吹奏楽という部活を、毎日辛い練習に耐えながら今までやってきている。

正直に言おう。
俺には真似出来ない。
彼女たちは朝早く(場合によっては3時台)に起き、遅くとも6時には出発している。
帰ってくるのは22時過ぎだ。
尤も、長女は平日・次女は土日だけだが。



単に『吹奏楽』と聞くと、『ただの文化系部活じゃないか』と思われがちだが、はっきりいって生半可な運動部より激しい。
現に、『長女の方は腹筋・次女の方は腕の筋肉』は多分俺より強いかもしれない。


対して俺は、ただ勉強しかせず、その上、妹と比べれば運動時間に当たる勉強時間は明らかに少ない。



さて、皆さんならどちらを応援するだろうか。
明らかに前者なのは言うまでもなかろう。




そんなわけで、年上であるはずの俺のメンツもプライドもずたずたに引き裂かれ、揚句の果てに信用まで失いかけている。

もはや最悪である。
家庭内ヒエラルキー云々の問題ではなくなっている。






そこで、俺は母親に訴えたのである。
『妹がいるお陰で、負い目とコンプレックスを感じている。妹なんていなければよかったのに』と。
勿論、『妹なんていなければよかったのに』の部分は冗談交じりで言ったつもりではあったが、あながち間違ってはいなかった。
ある意味では、本心がつい言葉として出た顕れなのかもしれない。






しかし、母親はキレた。
『何馬鹿なことを言っているんだ!それはお前の努力不足だろうが』と門前払いを喰らった。
『お前の被害妄想には悉く飽きた』とも言われた。



・・・正直、堪えたし凹んだ。
内心、母親に同情を求めていたのだろう、俺の心と期待は脆くも崩れ去った。


ついには『お前の人間関係は偏ってる』とまで言われた。
『お前の言う友達は、所詮お前と趣味や性格が似たような人間で、傷の舐め合いしか出来ない。これだけでは、良い人間関係とは言えない。だから、人の気持ちも汲み取れ無いんだ』とあっさり言われてしまった。
無論、黙っている訳にはいかない。
必死に言い返したものの、成す術も無かった。









結果的に、ズタボロな状態を悪化させてしまったのである。
それは辛かった。
こう携帯を打ってる最中も、手を震えて泣き顔になっている有様だ。
全くもって不様としか言いようが無い。




ふと、こう思った。
『俺は結局、秋葉原殺傷の加藤となんら変わらないじゃないか』。


自分が何もやってないだけで、失敗や不利益を被るとすぐに他人のせい。
自分だけ良ければ後は関係ない。
家族はみんなでたかって俺のことを責めている。


被害妄想だけが募り、人間不信ならぬ家族不信に陥ってしまったのかもしれない。



そう思った瞬間に、自分が如何に子供っぽいかを嫌でも意識させられた。
この間、自分も『馬鹿か、こいつ』と思っていた人間と、実は本質的には同一かと思うと急にやるせなくなった。

もう、なにもかもが色褪せ始めた。
自分が如何に愚者だったかを悟った。



だが、母親はこうも言った。
『コンプレックスを持つことは良いことだ。それは生まれ変われるチャンスでもある』。









何かの本で『リストラや浪人など、人生における挫折を経験した人は、そこで人間として成長できる』と言っていたのを思い出した。


今持っているインフェリオリティー・コンプレックスを乗り越えられたら、人間として成長出来るのだろうか。


妹たちはそれぞれ、舞台は違えど吹奏楽で頑張っている。




俺にもやるべきことはあるじゃないか。
来春、栄冠を勝ち取るという大義名分が。


夏の天王山。
予備校の勧誘パンフによく書かれているスローガンだが、俺にとっては『人間としての天王山』でもあるかもしれない。


そう思った一日だった。



明後日からは夏期講習が始まる。
今からでも遅くはないかもしれん。
中世〜近代中国の『科挙』に比べれば、楽勝そのものではないか。
この際、『Constant dripping wears away the stone.Faith can remove mountains.蟻の思いも天に届く』って奴を信じてみよう。





『人間として成長する意味でも』、一度くらい死ぬ気で勉強してもいいかもな。