中国共産党のひとびと。

ということで、前回の解答。
答えは趙紫陽でした。


解答と解説。
今回のリールで完成出来る中国共産党員は古い順に以下の通り。

劉少奇

中華人民共和国において第二代国家主席となった人物。
1958年に、初代国家主席だった毛沢東の「大躍進運動」の失敗によって就任しました。
1962年の七千人大会で「自力更正で社会主義建設というスローガンだった大躍進運動は失敗だった」という声明を出し、市場主義に基づいた新たな経済調整政策を進めます。
しかし、これに毛沢東が反発。
プロレタリア文化大革命」と称して劉少奇を失脚へと追い込ませ、遂に獄中にて病死しました。
後に文化大革命終結すると、やはり失敗だったという声が強くなり、最終的に劉少奇の名誉が回復されました。


華国鋒

毛沢東から「あなたに任せれば、私は安心だ」と言われて第二代党主席に就任した人物。
「四人組」を逮捕し文化大革命終結させましたが、毛沢東崇拝を進めていったことに、当時の最高権力者だった「とう小平」が批判。
結果、党主席を辞任。最終的には失脚まで追いやられたそうです。


胡耀邦

文化大革命で失脚した後に再び出世した第七代党総書記。
チベットを訪れ、「政策の失敗でこうなってしまった」と謝罪しましたが、これに党幹部が激怒して更迭されてしまいました。
また、ソ連ゴルバチョフによる「ペレストロイカ」や「グラスノスチ」に影響され、86年に「百花斉放・百家争鳴(双百運動)」を提唱して言論自由化を図りましたが、これも党の保守派によって阻止され、最終的に失脚してしまいました。


趙紫陽

第二次天安門事件で失脚した党総書記。
胡耀邦の死去とゴルバチョフの訪中によって、民主化運動が急激に民衆の間で高まりをみせ、遂に追悼集会を機に最高潮に達しました。
しかし、これを中国政府は武力鎮圧。学生・市民・兵士に多くの犠牲者が生まれる大惨事となってしまいました。
この武力介入の批判により、結果的に失脚。
また、これによって国家主席制が復活し、江沢民が就任することになりました。