(俺の中での)父親の消失と男女の終わらない喧嘩

少し前に、ハリスれな氏の『父親発言』でちょっとした祭りになってたので、俺も書いてみようと思う。


予め言っておく。
それは、俺にとって・・・
いや、家族にとっては全然笑える話ではなかった。


                          • -

話は今日の夕方。
父親が接待ゴルフで帰って来てからである。

父親は、多分取引先との付き合いで何か食べて来たのであろう。
どうみても酔っていた。


父親は、酒が入ると人が変わる。
例えて言えば、『ジキルとハイド』であろうか。
酒にのまれると、急に暴力的になり、言動も言語道断・単刀直入になる傾向にある。
しかも、本人には自覚みたいなものが無いらしく、翌日には記憶が完全に無い。
まさに悪酔い。悪質窮まりない。


・・・んでもって、そんな状態でまた帰って来た。
俺は既にこの手の対処は心得ているつもりだが、妹は別だった。
俺と妹は、(仮にでも)受験真っ盛りな上に、(言ってしまうと、本当のところ)妹の学力は底辺を地で逝く子なので、心配しているのだろう。

だが、この悪酔い親父はそんな中でずかずか入り込んで来た。




・・・暫くすると、妹が臟が煮え繰り返りまくりんぐで、今にも噴火しそうな顔してリビングに来た。

『あぁ、また喧嘩したのか・・・』

正直言うと、とっくに日常茶飯事にもなっていた上に、父親の悪酔いを世界一理解していると自負している俺は、「無視しとけ」と言って聞かせた。


だが、神様は俺の願いを無視したかの如く、いつの間にか喧嘩はエスカレートしていた。


父親は風呂に入っていたらしく、洗面所で激しく口論したらしい。
妹によると、父親が何かを投げてようとしたらしく、完全にキレていた。


そこで、母親が登場。
たまたま買い物から帰って来たのだが。
そして、また口論。
母親も父親の悪酔いは分かっているらしく、「あんたじゃ話にならない」ということをしきりに言っていた。


すると、父親の得意技が出る。
「五月蝿い、黙れ!」
・・・果たして、何回目の発言だろうか。
悪酔いした父親は、自分の都合が悪いとすぐにこの台詞を吐く。


『やれやれ、またか』
と思いながら聞いていると、遂に問題発言を口にした。

「そんなに俺のやり方が気に食わないなら、出ていけ!」
「もう、お前(=母親)にも子供にも裏切られて散々なんだよ!」
「もう疲れた。いい加減にしてくれ。俺はのんびり生きたいんだよ。」

この瞬間に俺の頭で何かが切れた。
そして、それと同時に絶望感と喪失感に包まれた。


簡単に言えば、ショックだった。
自分達が、悪酔い親父からゴミ扱いされた瞬間だった。


実を言うと、今までもこういう口論は何回かあったが・・・

俺は、誰かと話す時、必ず自分の中で相手は何でそう言うのか、相手はどんな状況なのかを客観的に判断しながら話している。


ところが、今回の父親の発言は全く思い当たる節が無いのだ。

確かに、俺にも父親に対して裏切り行為をしなかったと言えば嘘になる。
多分、妹にも心当たりがあるだろう。

しかしながら、母親に対して言うには明らかにおかしいと思った。
母親には、休みという休みが無い。
確かに、PTA等で家事に多少の影響が出たのは否めないが、ちゃんと家事を熟して*1いる。
母親の休みと言えば、一年に一回あるか無いかの『高校時代の友人との食事』ぐらいしか見当たらない。
俺が言うのもなんだが、本当に、真面目を絵に描いたような人だ。


しかしながら、それでもまだ足りないようなことをこの悪酔い親父は言っている。
そればかりではなく、『母親の教育が悪いから、子供がこんなに馬鹿なんだ』と呆れたことまで言いやがった。



ふざけるなと。
いい加減にしろと言いたいのはこっちだと。


最終的に、父親は何食わぬ顔で寝床に就きやがった。


いっそ、一思いに殺った方が良いかとまで思った。
もちろん、すぐに理性を取り戻したが。


そもそも、自由にしたいなら何故結婚なんかしたのか。
何故子供を産んだかが分からない。



母親に問い詰めた。
何故、あんなやつなのに離婚しないのかと。

しかし、意外な回答が返って来た。
『もし離婚したら、それこそそこから先の人生は分からない。』
『私は良くても、お前たちには迷惑をかけられない。』
・・・と言った。

母親が奴隷みたいに見えた瞬間だった。


思い返すと、幼稚園児時代の時は父親が子守唄をよく歌ってくれた思い出がある。
あの優しかった父親は、どこへ行ったのだろうか・・・
そう思うと、なんか死んでもいないのに、父親を亡くしたみたいな気持ちが込み上げた。



しかし、困ったものである。
父親を問い詰めようにも、酔いが醒めると記憶が無いし、かと言って悪酔い親父じゃ何言っても話にならず。
しかも、『ジキルとハイド』だから醒めるとまた元に戻るのである。

どうすれば良いのだろうか・・・

                                • -


なお、心配はいりませんよ(苦笑
だいたいこういうのは(恥ずかしながら)日常茶飯事。
また仲直りはするとは思います。

ただ、今回はショックでね・・・

                                  • -

さて、ここから先はちょっとした哲学チックな話。


母親とはなんと大変な仕事なのだろうと、今までになく思った。
うちの母親は、ある意味では奴隷である。

聞くと、悪酔いした父親と喧嘩した翌日でも、文句一つ言わないらしい。
正直、健気過ぎて久しぶりに*2泣いてしまった。

果たして、母親は家事だけして夫に対して服従しなければならないのか。
それは絶対おかしい。
明らかに母親の人権を否定している。
女性全員がこうしなければならないはずは無いはずだ。


しかし、では女性はいつも男性の支配下にあったかと言うと、意外にもそうでは無いらしい。

『元来、昔から男社会』とはよく言ったものだが・・・
実は、もっと前は女社会だったことをご存知だろうか。
つまりは、父権制社会よりも前に母権制社会が存在していたということだ。


これは古代史学者の『バッハオーフェン』によって、提唱されたものだ。
例えば、古代宗教。
プリュギアの大女神であったキュベレーの帰依者は、誰一人例外無く女装した。
女性ならそのままではあるが、男性は去勢した上で女装していたという。

また、古代エジプト新王国第18王朝のハトシェプスト女王がファラオ位に就いたのも有名である。



しかし、ハトシェプスト女王の像を見ると男装しているのが見て取れる。

つまり、その頃に母権制社会は父権制社会へと変容していった事が分かる。
女装は父権制社会からの逃避行動であり、男装は父権制社会への挑戦状だったのだ。
現に、ユダヤ人は『申命記』で異性装を禁止し、孔子は男女区別を明確化するように説いている。




・・・さて、時が経つこと2000年ちょい。
今では、おおよそ緩和はされてきてはいるが、未だに父権制社会的な感じは否めない。
流石に、異性装はジェンダーフリーへの理解やコスプレの普及(?)・流行で、ほぼ解消されたように思える。
社会も、日本に於いては1985年に『男女共同参画社会基本法』が制定され、門戸開放に“一応は”向かっている。



しかしだ。
あまり言いたくは無いが、未だ父権制社会的思想を持つ“残党勢力”がいるのも現実だ。
もちろん、母権制社会へ回帰せよとは言わない。
だが、この現代社会で父権制社会を主張するのは、既に時代遅れではないだろうか。

おそらく、父親も『母親は家事をして、言うことを素直に聞いていれば良い』みたいな考えを持つ、父権制社会主義者だと思われる。
非常に残念である。


しかして、そんなんで、果たしてこの現代社会で良い家庭を築くことが出来るであろうか?
これが、200年程前の時代なら良いのだろうが。









かといって、女性も驕り高ぶってはならない。


最近では、フェミニズム運動によって女性の地位は向上したように思える。
しかし、これにより女性も社会の構成者であることになってしまった。

恋愛資本主義によって堕落したと主張した『本田透』氏。
女性の地位向上によって、女性が男性に求めるものが多くなったと俺は推測する。
これも、女性がフェミニズム運動で得た『負の副産物』だと思われる。



ある意味では、母権制社会への回帰の前兆を連想される。
しかしながら、フェミニズム運動により、女性開放を謡ったは良いが、結果が父権制社会主義の二の舞では意味が無いではないか。













俺は思う。
何時になったら、男女が互いに手を取り合うことが出来るのかと。

*1:=こなして。

*2:ま、ついこの間も泣いたが。またそれは別の話。